旅館をチェックアウトした後、何事もなかったかのように東京へ戻り、一人前として認めてもらうために仕事に励んだ。
いつも美月は心の支えになってくれていた。 ただ、手紙を何度も出すが返事が来ることはなかった。 会えない間も思いは募っていき、どうしても彼女を手に入れたくなってしまった。 しかし返事がないということは、受け入れてもらえていないということだろう。突然自分の弱みを話されて迎えに来るなんて言われても拒否したくなるのも納得できる。 それでも諦めることができなかった。 そのうち俺に父が結婚を勧めてきた。 『いい人を紹介したいんだ』 仕事で結果を出して認めてもらえるようになっていた俺は、これだけは譲れないと父に反発をしたのだ。 『結婚だけは、好きな人とさせてもらいます』 『思いを寄せている人はいるのか?』 『はい』 はっきりと答えてしまった。初めは大反対されてしまったが、祖父が味方になってくれ『ぜひ、会わせてほしい』と父も言ってくれるようになったのだ。 美月をすぐにでも迎えに行こうと思ったが、急に来られても困るだろう。 スムーズに連れて帰って来られる、何かいい方法はないかと考えていたところ、美月の老舗旅館が経営破綻に追い込まれているということを知った。 計算高いと言われてしまうかもしれないがこれを利用するしかないと考えた。 もしかしたら彼女には想い人がいるかもしれない。それでもどうしても手に入れたくて、買収という道を選んだ。 いわゆる契約結婚だ。好きになってしまった女性を手に入れるためにいいアイディアが思いついたと思ったが、契約結婚に持ち込むためには父を納得させなければならない。 これは難関だ…… 父が納得させるためプレゼンの材料を集め、資料を作り込んだ。 この老舗旅館を手に入れたら、どれほどメリットがあるかどうかというのを準備した。 説得するために父親に時間をとってもらい熱心に説明をした。 父親を説得することができたのだ。『それはすぐにでも北海道に行って話をまとめておきなさい。お相手のお嬢さんをもらって結婚するというのも大賛成だ』 早速、俺は北海道へ飛び、美月の両親に話をしに行ったのだ。 もしかしたら美月会えるかもしれないと思ったが、あいにく彼女は外出中で目にすることができなかった。 東京に戻るとすぐに連絡があり、買収を受け入れてくれること、美月との結婚を了承してくれた。 日程を調整し両親と顔合わせに行ったが、残念ながら体調を崩していて会わせてもらえなかったのだ。 しかし結婚することはとても嬉しいと言っているとの伝言があって、それを信じていたのだが……。 実際に会ってみると美月は混乱し、憔悴しているように見えた。 俺との結婚を絶対に後悔させない。 強引な方法ではあったが、幸せにしてみせると心に誓ったのだった。
旅館をチェックアウトした後、何事もなかったかのように東京へ戻り、一人前として認めてもらうために仕事に励んだ。 いつも美月は心の支えになってくれていた。 ただ、手紙を何度も出すが返事が来ることはなかった。 会えない間も思いは募っていき、どうしても彼女を手に入れたくなってしまった。 しかし返事がないということは、受け入れてもらえていないということだろう。突然自分の弱みを話されて迎えに来るなんて言われても拒否したくなるのも納得できる。 それでも諦めることができなかった。 そのうち俺に父が結婚を勧めてきた。 『いい人を紹介したいんだ』 仕事で結果を出して認めてもらえるようになっていた俺は、これだけは譲れないと父に反発をしたのだ。 『結婚だけは、好きな人とさせてもらいます』 『思いを寄せている人はいるのか?』 『はい』 はっきりと答えてしまった。初めは大反対されてしまったが、祖父が味方になってくれ『ぜひ、会わせてほしい』と父も言ってくれるようになったのだ。 美月をすぐにでも迎えに行こうと思ったが、急に来られても困るだろう。 スムーズに連れて帰って来られる、何かいい方法はないかと考えていたところ、美月の老舗旅館が経営破綻に追い込まれているということを知った。 計算高いと言われてしまうかもしれないがこれを利用するしかないと考えた。 もしかしたら彼女には想い人がいるかもしれない。それでもどうしても手に入れたくて、買収という道を選んだ。 いわゆる契約結婚だ。
『泣かせてしまって悪かった。自分の話をしたから今度は美月の話を聞かせてほしい』 かなり躊躇しているようだったが、彼女はゆっくりと口を開いた。 美月は養子だった。本当の妹ができてしまってからは、家族として扱われず、まるで家政婦のように生きてきた。 自分の存在価値がわからなく心が沈んでしまうこともあるらしく、結婚相手も親が決めるから恋愛はするなと言われていたのだ。 彼女もまた自分の人生を親にコントロールされていて、苦しんでいる様子だった。『それでも与えられた運命の中でも楽しみを見つけて生き抜こうと決意しています』 その話を聞いて自分がバカバカしくなってしまった。 俺はただの弱い人間なんじゃないか。 自分だけが苦しいと思っていたが、世の中には苦しんでいる人もいる。 彼女のように強い心を持ちたい。強い心で生きていきたい。 体の底からエネルギーがみなぎってくるような感覚に陥った。『美月、俺は君の綺麗な心で惹かれてしまった。そして生きる力を見出すことができた』 思わず彼女の手を強く握りしめていた。 先ほどまで硬い表情だった彼女が優しく笑った。『これからも生きようとしてくださって、すごく嬉しいです』『俺と美月は、支え合う運命かもしれない。導かれてこうして出会った気がするんだ』『そう言っていただけて光栄です。こんなに自分のことを人に話すのは初めてです』 愛おしさがあふれてしまった。 情熱的な感情になったのはこの時が初めてだったかもしれない。『……離れたくない』『えっ……?』『五年後。必ず迎えに来る』 突然のことで驚いているようだった。『今すぐ連れて帰りたいところだが、今の俺はまだ頼りなさすぎる。立派な大人になって戻ってくるから、俺を忘れないで待っていてほしい』 瞳が揺れていたが、彼女はかすかに頷いてくれた。
財閥の御曹司として生まれてきたこと、医者になりたかったこと、親の決められた道を歩いてきたこと。 好きでもない女性が寄ってきて嫌でたまらないこと、はじめて会った人に俺は全てを吐き出す。 話すと楽になった。スッキリして、力が抜けた。 なぜか美月には本心をぶつけることができたのだ。不思議だった。 彼女は、見ず知らずの俺の話を涙をポロポロと流しながら聞いてくれていた。『とても辛かったんですね……』『あぁ、辛かった。産まれてきた意味がわからなかった』 彼女の涙があまりにも美しかったから、頬を伝う雫を親指で拭った。『……他人のことなのに、泣いてくれてありがとう』 美月は頭を左右に振ってしばらく泣いていた。 時間が経過し落ち着いてくると赤くなった目でこちらを凝視した。『私に何かできることはないでしょうか?』 透き通るような綺麗な瞳で見つめられ、俺の心が桃色で染まっていくのがわかった。 温かいものが胸にじんわりと広がる。 なんだ、この感情は。 こんなに純真な心の持ち主に出会えたのは奇跡かもしれない。 俺はこれからも生きていかなければいけないと強く思えたのだ。 しかもこんなに可愛い女の子を泣かせてしまうなんて、俺は男として失格だ。
『私がご案内いたします』 美月が近づいてきた。大人しそうな女性だというのが第一印象だ。美しいが地味なタイプに見えた。 館内を案内し部屋まで連れて案内してくれた。『どうぞ、ごゆっくりとお過ごしくださいませ』 その言葉に心がこもっているような印象を受けた。 夕食は、彼女が運んできてくれた。北海道の食材を使った会席料理で本当に美味しかった。まだ味覚が残っているなら俺には少し余裕があるのかもしれないと思った。 客室には露天風呂がありゆっくりと湯につかり、空を見上げると星が輝いていた。 俺の人生、しょぼかった。死ぬ気で生きてきたことがあっただろうか。 決められた運命を変えたいと思うなら、もっとできることはなかったのだろうか。 そんなことを思いながら部屋に戻ってきた。 しかし、今日で俺の人生を終わらせようと思って決意してここまでやってきたのだ。 さあ、どこでどうやって自らの命を絶とうか。そんなことを考えていたら悪寒がした。 真夜中だったが、体温計を借りたいとお願いすると、美月が持ってきたのだ。『お待たせいたしました』『当直なんですか?』『いえ、私はここの家に育ててもらっていて……』 途中まで流暢に話していたのに突然言葉が終わってしまう。 あまりプライベートなことは話すなと教育でもされているのだろうか。 体温計を確認すると、三十八度の高熱だった。『大変です。救急車をお呼びいたしましょう!』 命がなくなってしまってもいいと思っていた俺は、彼女の手をつかんだ。『これぐらいの熱、平気です』『しかし』『実はもうすぐ人生を終わらせようと思っているんです。最後に話を聞いてもらえませんか?』 この時の俺は気が狂っていたのかもしれない。 誰かに話を聞いてもらいたくてたまらなかったのだ。『私でよければ……』『ありがとう』
自分の部屋に入った美月を見送ると、仕事に取りかかるため書斎に入った。 義堂財閥の一人息子として生まれてきた俺は、幼い頃から親の決めたレールの上を歩かされていた。 やりたいことを素直に言えず、自分が生まれてきた意味がわからなかった。 俺は、医者になりたかった。 幼い頃に母が体調を崩し入院し、その時に世話になった医者がすごく優しくて、親切で憧れた。 その夢を父に伝えると『何を言っているんだ。そんなことを言っている暇があれば経営の勉強でもしろ』と叱責されてしまった。 それから自分の価値というものを考えるようになり、だんだんと心の中に負の感情が溜まっていったのだ。 五年前、もう死んでしまいたいと思っていた。 親の主催するパーティーに連れ回され、将来の社長だと挨拶をさせられる日々。 大学に行けば財閥の息子だからと女が寄ってきて、好きだとか告白される毎日。 うんざりだった。 そしてついになんで生きているのかわからなくなってしまったのだ。 こんな人生であれば、産まれた意味などない。親の駒として生きるのはうんざりだった。 最後に北海道を旅行して俺の人生は終わりにしようと決意をした。 今思えば浅はかな考えだったとは思うが、当時の俺は本気でそう思ってしまうほど追い詰められていたのだ。 家から抜け出して急いで空港に向かい、飛行機に乗り函館に到着した。北海道の冬は空気が冷たくて身震いした。 昔から気になっていた湯の川温泉にある老舗旅館に予約を入れておいた。女将が三つ指をついて丁寧に頭を下げてくれる。 内心はこんな若造が一人で宿泊とはなんだろうと疑問に思っていたのではないだろうか。しかし完璧な笑顔を浮かべて『ようこそおいでくださいました、ごゆっくりなさっていってください』と言われた。 俺は頭を下げて旅館の中に入っていく。重厚な歴史ある建物に感動を覚えていたが、声が聞こえた。『美月、あんたが案内しなさい。あのお客様、あんなに若いのにお一人で泊まるなんて様子がおかしいから見張っておきなさいよ』『……はい』『うちで自殺でもされたら面倒なことになるから』 ものすごい上から目線の口調だと思ったし、仮にも客がいるのに聞こえていないと思っているのか? あんな口調で言うのはどうなんだ。